整然と混沌

>上井ラナさん
>梳野さんは、混沌志向派*1を『創ること』『見せること』のどっちを目的にする人だと見られてるのかしらん。
>自分では、どっちかというと『創ること』が目的の人が多いと思ってるのですけれど。
梳野的思考からすると混沌思考派を自認する人たち、と言うよりもその人たちの為にある場所が
とても「見やすい」形をしている事は無いと思うのですよ。
梳野の意図とは別に棘のある言い方になってしまいますが、「混沌」であることとは
「整理されていない」ことにとても近く、インデックスもガイドも有ったものじゃない、と。
そういう意味で、FSWと言う概念は「創り手」には自由に楽しむ場を提供するものであれど
「読み手」にとってどれくらい好ましい概念なのだろうなー、と思ったり。
新しい概念だから色々と案じてますが、個人的に「FSW」と言うのは
「読み手」から「創り手」となる為の敷居を限りなく下げる為の概念
なのかなぁ、と思ってます。言い方を変えると
「読んでて面白くないならYou書いちゃいなYO!!」的な。
何せFSWの範疇である限り、何を書いてもどう解釈しても批判的な責任を負うことは無いはずですから。


以上、あまり纏め上げずに垂れ流した雑感です。
この日記には
FSWと言う概念を貶める意図も批判する意図も無い
ことを併せて表記しておいて今日の所はこれくらいで。








こうやって考えていると、「FSWであること」を根幹とした行動をしてみたくなるのは梳野の悪いクセ。
まぁ、案件練るばかりで実現しないのが梳野クオリティですけどね。